望郷いなか詩

田舎に燦々といきたい

15登り坂にお婆ちゃん


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15登り坂にお婆ちゃん


四国右下の町に私は小旅行
春 真っ只中15日 
港町を徒歩でゆっくりとならばジロジロ視線がくる
見知らぬ町を余所者は空気を汚してはと道義的
元来の優柔不断は車を走らせていた
港の防波堤に記憶はかけっこしている
身体はその早さに追いつかずに やるせなさ脆さは創造することの歯痒さにやける 顔はすっかり卑屈の日焼けだ
潮風に吹き飛ばそうと 潮風にむかう 潮風の湿っぽさだけ残存 ナメクジのように縮むはずが 杭はそのままで抜けない
堂々巡りは幼き日とオーバーラップ
蕁麻疹が身体中に地図を書いて 自分で引っ掻くとみみず腫れて泣いてしまう
母親に連れられ 15キロ離れた海で湯浴み 塩水がヒリヒリ 母の笑顔に又泣けた


自分を見つめる旅 自分の再発見 煩悩を振り払おうとしても煩悩 凡人に凡人 何かやり遂げると又 登り始める其れが回答
人とのふれあい 真心知ることの経験 反芻反芻 上り道坂道

 

突然に次のステップへのヒント 出会いは起きた 

車をノロノロ走らせ坂を上る中間点
民家の冊子窓を越しに 私の車に見も知らぬお婆ちゃん 懸命に手を振ってくれたのだ
私も反射的に手をふって返した
お婆ちゃんが何故

縁もゆかりもない私に手をふってくれたのか
挨拶して会話する よいことか悪者になってしまうか
昨今の老人をターゲットにしたオレオレ詐欺ととられそうで そそくさとその場から離れる そんな一時のふれあい
海辺の町から嫁いだり 転居したお婆ちゃんはいうのだ あの町 古里に帰りたくはない 山と海だけ 他に何もない疲れるらしい そういう人もあるという悲哀と現実


坂道のお婆ちゃんは見る人みんなに手をふるのだろう
私はその行為 お婆ちゃんに幸せの黄色いハンカチ 詩的感覚が芽生えた
それから何回か 坂道のお婆ちゃんの家を通りすぎるさい お婆ちゃんは幸せの黄色いハンカチ
しかし 真夏の15日は長々とお婆ちゃん幸せの黄色いハンカチを見られなかった
幸せの黄色いハンカチ
某かの意味 合図なのか お婆ちゃん 私も幸福の黄色いハンカチを振っていたい
年老いたら遠慮する 小さくなる 行き場がない
年老いていくほどにドンドン人間冥利がつきてくる

老年期こそ如何にあるか
生きたか
人間日和は位置ずけてくる


この秋の15日   数ヶ月ぶり旅心は偶然の邂逅から必然性の予感 お婆ちゃんの坂道をいくこと15分
やった お婆ちゃんの手はグッドのサイン 握りこぶし ゆっくりスムーズ花開き お婆ちゃんの手は幸せの黄色いハンカチと靡いてくれた


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